EUREKA AFGHANISTAN

【ユリイカ(青土社) 2002年3月号】

フィクションは「間」の人間を排除する。
 〜ニューヨークのアフガニスタン・コミュニティ〜 

                      舩橋淳
 

 M. マフマルバフ「カンダハール」は、ベールの奥から見える翳りゆく日蝕の光で始まり、終わる。ブルカに覆われた女性に視点を与える、という意味で何とも政治的な(マフマルバフ曰く「人道的な」)主題を中心に据えたこの作品は、映画を映画としてのみ把握することを許さないほど、現在の世界情勢に切迫した主題を掲げている。

   「サイクリスト」(1987) は、ジョン・ウーの仁侠映画のようにメロドラマチックな、極端化された虚構として素晴らしかった。この極端化の演出は、以後の「A Moment of Innocence(Nun Va Goldoon)」(1996)、「The Silence (Sokhout)」(1998)にも継承されており、マフマルバフに単なる「社会派」映画監督とは少々異なる位置付けを与えたのだが、「カンダハール」でもそれを窺い見ることができる。空から義足が落下傘につながれて降下してくる場面、その義足をめがけて片足を地雷で失った男達が集団となって突進するのをスローモーションで描くあたり、色彩豊かなブルカを被る女性が群をなして砂漠を横切る壮大なショット等々。フィクションならではの誇張された演出が鏤められている。ひとつ「サイクリスト」と異なるのは、「カンダハール」はメロドラマではなく「芸術映画」として作られている点である。

 同時代の大きな社会的・政治的事件を扱った映画が製作されるとき、作品内で描かれている事実の正確性がこの上なく重要になる。内乱、飢餓に苦しむアフガニスタンという題材を、芸術的表現によるフィクションとして描くことに私は疑問を抱いた。虚構によって装飾された世界の後ろにある現実を、どれだけ正確に観客は把握できるのだろうか。クロード・ランズマンが、スティーブン・スピルバーグの「シンドラーのリスト」に対して、ホロコーストをフィクションで描くべきではない、と批判した問題である。ただマフマルバフがスピルバーグと違うのは、彼自身、映画を補うには余りある、膨大なリサーチに基づいたエッセー「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ。」を記しているところだ。「カンダハール」は、このエッセーと共に見られるべき映画であろう。

 私自身、アフガニスタンへ飛んだわけではないが、ニューヨークのアフガニスタンコミュニティをテレビドキュメンタリーの為に取材する機会があった。クイーンズのコリアンタウンと隣り合わせに広がるその小さな居住区には、1980年代、旧ソ連による軍事占領下のアフガニスタンから移住してきた人々が、細々と暮らしている。アフガニスタン雑貨店、タクシーの運転手、タバコ屋、アフガン・ケバブの飲食店、コミュニティセンターの図書館助手、植木職人等、高所得を得ることが難しい職がほとんどだ。また、アフガニスタンから来た医者で、アメリカの医師免許がないため開業できずに苦しんでいる男性もいた。彼は、生活保護をニューヨーク市からうけながら、医師国家試験のための試験勉強を続けていた。この地域で私が目にしたのは、より良き生活のために懸命に働いている労働者の日常であった。

 私はあるアフガニスタン料理店に取材を申し込んだ。既に9月11日以降15件取材を受けていたにも拘わらず、店主は快諾してくれた。(実際、殆どのアフガニスタンレストランは、9月11日以降マスコミの取材攻勢を浴び続け、うんざりしているようだった。)彼は、旧ソ連占領時の1980年、父親に連れられて、アフガニスタンからパキスタンへ逃れた日のことを丁寧に語ってくれた。空からパトロール機に見つからないよう夜間を選び、険しく極寒の山路を1ヶ月もかけて歩いて移動したそうだ。現在パキスタンに流出するアフガン難民は、自分と同じルートを通っているに違いない、と彼は言った。
 彼は、炭焼きケバブ料理店を取材することや、毎週金曜日に礼拝に行くモスク(毎日欠かすことのできない5回のお祈りは、レストランの地下に設けられた小さな祭壇で済まされる。)を取材することを、快く同意してくれた。しかし、話が家族のことに及んだ時、彼は躊躇する表情を見せた。「息子と自分を撮影するのはかまわない。が、妻と母親に関しては、戒律で禁じられているからダメだ。」彼はそう言い、自宅にはカメラを一切入れなかった。どんなに親密になろうが、越えられない壁がそこにあった。ニューヨーク在住の外国人移民は「No problem, no problem.」とよく連呼するのだが、それは相手との関係円滑化のための渡世術にすぎず、文字通り「問題なし、大丈夫だ」と信じられるケースは少ない。このレストラン店主の場合も例外ではなく、最初妻への取材を依頼したとき、「No problem, no problem.」と即答したのだが、具体的なスケジュール、取材場所の話になると「たぶんよした方がいいだろう。」と言い出し、話を少しずづ違った方向に逸らせていった。我々も諦めるわけにはゆかず、さらに突き詰めた質問をすると、実のところ全くNo Problem ではないことが判明した。どんなに交渉しても彼の態度は頑なだった。彼個人をネガティブに思ったわけではない。「なぜダメなのか?」と素朴に聞いても無駄である、絶対的な拒否を体験したのである。

 こうして、アフガニスタン料理店とその店主への取材は、女性を一切撮さずに行われた。表面的な取材のみで、対象にじっくり迫ることはできなかった。異文化間の障壁と括ることは容易だが、私は個人レベルでいかに相手と距離を詰めることができるのか?ということを真剣に考えてゆきたい。

 ニューヨークのアフガニスタン人の多くは、アメリカに既に長く住みつき、市民権も得ている。長く続いた内乱のため、祖国アフガニスタンに全く帰ったことのない人が半数以上を占める。アイデンティティの半分は、アメリカ人だという人々も多かった。アメリカで生まれた2世や、アフガニスタン人とアメリカ人のハーフとして生まれた若者は、今回の軍事行動をどう受け止めてよいか困惑していた。アメリカとアフガニスタン、そのどちらでもない「間」の人間がここには多く存在する。自国にそのような人間がたくさんいる中のに、全ては「我々のサイドか、テロリストのサイドかのどちらかだ」という大統領の無知は、救いようがない。彼の世界地図=フィクションには、「間」の人々は存在しないのだ。
 この国のメディアは政府に統御されている。世界はアメリカ国民が見ることができない映像で溢れかえっている。アフガニスタンの空幕の映像、完全に破壊しつくされた市街地、被爆し家族を亡くした子供達、そういった映像はここでは決してみることができないよう報道規制が敷かれている。アメリカが国内で作り上げている虚構のアフガニスタン像は、現実とはかけ離れている。まるで、戦時中の日本のようではないか。異なる政府が作り出す異なるフィクション、自己利害のためによって取捨選択、捏造されたフィクションが世界中のメディアを埋め尽くしている。ブッシュ政権が作り上げているアフガニスタン像、国連が描く虚構、北部同盟が、アルカイーダが、パキスタンが、、、すべて政治的な意図で塗りたくられたフィクションである。それらに洗脳されることなく、公正に情報を判断する能力が我々に求められている。

 

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